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4年間の奉仕を終えて

 みなさまこんにちは。学生助勤者のつくばいと申します。春の始まりの節目を迎え、草木のほころびが待ち遠しいですね。




 

4年前、上京してから部活中心の大学生活を送っていた私は、先輩にご紹介いただいて、こちらの神社で奉仕することになりました。今春の卒業を機に、その日々を振り返ってみようと思い立ち、投稿をさせていただきます。


 怒涛の正月、節分を過ぎると、神社には鎮守の森の静けさが舞い戻ります。私が1月下旬に最後の奉仕をした際にも、落ち着くような、でもやっぱり寂しい気持ちになりました。常勤の皆様や、氏子の皆様はもっと深くこの静けさをご存じでしょう。



 

 

 お正月以外の、大祓や地鎮祭、ご祈祷の受付といった奉仕では、都会であっても氏子組織があること、誰かの人生の節目に立ち会えることへの驚きとありがたさを感じました。また、農学を専攻する身からすると、神道と農耕文化の結びつきに感動を覚え、自然とともに生きる日本人の豊かな心を大切にしていきたいと考えるようになりました。



 また、神様について最も深く考えたのは、意外にも就職活動中の時期でした。個人的な話になりますが、私は生来優柔不断な性格で、このイベントが相当なストレスでした。多くの選択肢をもらえるという今の時代や自身の状況は恵まれていると感じていますが、いつの時代にも選択の結果には責任を持たねばなりません。何かを選ぶということは、すなわち選ばなかった選択肢を捨てるように感じてしまい、選びきれない自分に価値があるのか悩みました。



 


 そのなかで、私は、人生の選択の結果は半分神様が決めていると考えるようになりました。人生の最終決定権を自分が100%握っていると考えているから、身動きが取れなくなっていることに気づいたのです。選択の責任は自分にありつつも、その結果すべてを一人で背負わなくてもよい、うまく行ったときは感謝し、納得がいかない現状に関しては自分の行いを顧みるという、自分なりの神様との距離感がつかめてから、すこし気持ちが楽になりました。お金を稼ぎたい、家族やパートナーと一緒に暮らしたい、一人で自立した暮らしがしたい、夢を追いたい、自給自足で暮らしたい、など、人によって価値あることは様々で、どの選択が正しいかは一概に言えません。迷いながら選ぶ私たちを受け止めてくれる場所のひとつが、ここ、天祖神社なのかもしれません。なんといっても、迷ったときには、歌占がありますしね!




 

 私は奉仕を卒業してしまいますが、そんな人々のよりどころである神社を幾千の時を超えて守り、伝えてきた方々や、宮司をはじめ神社で奉仕するにあたってお世話になりましたすべての人々に、尊敬と感謝の念をここに示します。また、いいご報告ができますようにこれからも精進してまいります。



 
 
 

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