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ノリ子さんの思い出


突然のことではございますが、さる9月8日に先代の奥様、ノリ子さんの御霊が帰幽されました。



私が初めてこちら来たのは3年前のちょうど今の時期でしたので、お会いできた機会は少なかったと思います。しかし、神社にお見えになったときは様々なお話を聞かせて下さいました。


前につれづれでも書きましたが、


「私、ずっとここにお嫁に来たいと思っていたの。ほら、私の実家は和菓子を作っているから、神社でお祭りの時とかに使えるでしょう?」


「やっぱりね、思うことは大事よ。」


そうニコニコとお話するノリ子さんを思い出しては笑みが溢れます。



折り紙や和紙アートがお好きだったノリ子さん。


神社にはノリ子さんの作品が至る所に存在します。



そのためなのか、ふと、「あら、いいじゃないの」というノリ子さんの声が聞こえてくるような気がします。


神道では亡くなった人は神様となり、御先祖様たちと共に私たちを見守ってくれるといいますが、きっとノリ子さんも私たちを見守ってくれているでしょう。



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6 Comments


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Oct 07, 2022

保男先生とノリ子さんが遺してくれたもの


 昨年10月、「古典の会」の有志で保男先生の弔問に伺わせていただいた折、ノリ子さんから「古典の灯を消さず勉強を続けていってくださいね」と言われました。                     

 私たち夫婦が「古典の会」に参加させていただいたのは『日本書紀』を始めたばかりの2004年頃で、読み終えるまでに14年以上かかっています。それ以前には「漢詩」や『古事記』を取り上げたと聞いているので、「古典の会」は20年以上          「古典の会」有志と

続いてきたのでしょう。

 ノリ子さんのお言葉のとおり、私たちは「古典の会」を継続。メンバーでNHK学園の古典の講師をされていた諏訪部典子先生に教えを請い、まずは弔問に訪れたお部屋に貼ってあった、万葉歌人・大津皇子の漢詩を事始めに月1回、4名で『万葉集』に取り組んでいます。

 

金鳥臨西舎 (きんう せいしやに てらい)

鼓聲催短命 (こせい たんめいを うながす)

泉路無賓主 (せんろ ひんしゅなく)

此夕離家向 (このゆう いえをさかりて むかう)

                    大津皇子 (おおつのみこ)


金鳥(太陽)はすでに傾いて、西の家屋を照らし、

時を告げる鼓の音は、死を目前にした短い命をせきたてるように聞こえてくる。

死出の旅路には、お客も主人もなくただ一人ぼっち。

この夕べ自分の家を離れて孤影さびしく黄泉の旅へ出立しなければならない。


 天平勝宝3(751)年ごろ完成した現存する最古の日本漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』に収められた大津皇子の辞世の詩。『日本書紀』によれば、大津皇子は天武天皇の第3皇子、母は天智天皇の皇女・鵜野讃良(うののさらら)皇后(後の持統天皇)の姉とされる大田皇女(おおたのひめみこ)。天武天皇の死後、謀反の疑いをかけられ死を賜っている。

 

 『万葉集』の会は、大津皇子の漢詩に次いで、「万葉歌発祥の地、飛鳥」「万葉歌と律令国家の形成」「恋の歌」「梅花の宴と筑紫歌壇」「万葉集の基礎知識」と回を重ね、もうすぐ1年を迎えようとしています。

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Oct 05, 2022

 手元にノリ子さんと保男名誉宮司のお写真がありましたので、再び投稿させていただきます。


 ノリ子さんの思い出は、私にとっては言うまでもなく先生である名誉宮司との思い出でもあります。お二人からはさまざまなことを学ばせていただきましたが、本当に仲のよいご夫婦で、まずはそこから見習わなければならないと思っています。


 2019年12月の京都もご夫妻とご一緒し、忘れえぬ旅となりました。『日本書紀』完読後の勉強会「どっちを向いても(右を向いても左を向いても)」から参加された戸田姉妹と総勢6名の旅。

(「どっちを向いても」は政治、思想、郷土史。その後、随所に先生の人生観を散りばめながら再び「記紀」や「風土記」『古語拾遺』を取り上げられ、翌々月の外交評論家・加瀬英明氏の講演会を課外授業に設定しつつ、2020年10月、期せずして最終講義を迎えました。)


 京都駅で7人乗りの観光タクシーを手配し、まず、最初に向かったのは先生がぜひ訪ねたいと仰られた伏見にある桃山御陵(明治天皇陵)、さらに昭憲皇太后の桃山東陵でした。

                                 

 大正天皇以降の陵(みささぎ)は東京八王子にあるので、京都で最後の天皇陵です。陵の敷地の桃山は、豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地。杉並木の参道には230段もの石段がありますが、私たちの誰一人として、それを上りきるような気力や体力を持ち合わせていません。それならばと、先生がいつもの茶目っ気ぶりを発揮され、上っている振りを写真に収めておこうということに。

 実際は遠回りのスロープをみんなでゆっくり牛歩の歩みで陵墓まで。その間、ノリ子さんはといえば、通りかかる人たちと話をされたり、私たちが帰り着く頃にはすでに車中で緩くお待ちになっておられました。

 明治天皇陵の墳形は天智天皇陵をモデルにしたという上円下方墳で、下段の方形壇の一辺は約60メートル、上段の円丘部の高さは約6.3メートル、表面にはさざれ石が葺かれた広大なもの。そのすぐそばにある昭憲皇太后の陵は一回り小さいものの、こちらも同じ上円下方墳です。           明治天皇陵にて      

                    

 次に向かった先は同じ伏見区にある御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)。神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神を祀っています。

 この神社でとりわけノリ子さんの目をひいたのは社務所の三和土に置かれていた衝立でした。『日本書紀』を学ばれた人ならわかる、神功皇后と武内宿禰を描いたもので、「写真に撮って」とノリ子さんからリクエストされた画像です。



 御香宮神社境内にある桃山天満宮から八坂神社。そして八瀬へ。


                  八 坂 神 社 

 八坂神社の主祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)。コンコンチキチン、コンチキチン・・・日本三大祭のひとつ、祇園祭であまりに有名な神社です。人々の疫病消除(しょうじょ)の祈りを聞き届け、あらゆる災いを祓う神様として信仰されています。


 『備後国風土記』逸文の説話によれば、南海を旅していた素戔嗚尊が、蘇民将来(そみんしょうらい)と巨旦将来に宿を求めます。兄の蘇民将来は貧しく、弟の巨旦将来は栄えていました。ところが弟は宿を貸さず、兄は貧しいながらも粟穀の座と粟飯でもてなし宿を貸します。蘇民将来の真心に歓ばれた素戔嗚尊は、「後の世に疫病流行すれば、蘇民将来の子孫といい、茅の輪を腰につけておけば免れさせる」と約束しました。

                 (上記は先生の講義で学ばせていただいた内容から)


 ところが、参拝した翌年、まさかのコロナ・パンデミック……

                  疫病退散!

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kobayasu
kobayasu
Oct 04, 2022

私たちの知らない、保男名誉宮司とノリ子さんの思い出をありがとうございます。祭礼期間で封印していた色々な気持ちがあふれ出てくるようになりました。快晴のもとお祭りができたことは、見守ってくれている二人がいたからでしょう。先代夫妻の御霊はきっとこの神社にとどまっていると思いました。今後ともどうぞご支援賜りますようお願い申し上げます。

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my
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Oct 03, 2022

 そういえば、こんな偶然がありました。       

 2018年12月、私たち夫婦が伊豆高原からの帰路、小田原に立ち寄り、小田原文学館の庭を散策していると、そこのベンチになぜかノリ子さんが一人座っていらっしゃるのです。思わず、あっと声を上げると、「主人は車の中にいるの」と仰る。文学館の外に出てみると、名誉宮司と箱根をご一緒だったお仲間がタクシーの中でノリ子さんのことを待っているではありませか。

 旅先で出会ってしまう偶然、まさに一

   箱根離宮にて            期一会です。このときもノリ子さんはこ                                             

                         んなふうにベンチに座っていたのです。                    

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Oct 03, 2022

 コロナの第1回緊急事態宣言が解除されたばかりのある日のこと、名誉宮司と豊島病院の外来でバッタリ。


「この閉塞感、どこかへ行きたいね~」などと宮司が仰られ、その数日後、さっそくノリ子さんからお誘いの電話をもらい、箱根へご一緒することになりました。


箱根離宮にて 名誉宮司ご夫妻と


 奈良国立文化財研究所の主任研究官もされた滋賀大学名誉教授の小笠原好彦氏は『検証 奈良の古代遺跡――古墳・王宮の謎をさぐる』(吉川弘文館)で、「吉野宮跡」(宮滝遺跡)についてこんな推論をされています。天武天皇の皇后、後の持統天皇は、即位した690年から皇位を譲る697年までの間に、実に31回も吉野に行幸している。なぜかくも頻繁に行ったのか。吉野宮では宮建設の折に温泉が出たのではないか。温泉は潔斎し、身を清める場でもあった。「吉野宮で温泉の湯に浸りながら、禊の神事を重ねて心身をリフレッシュし続けたと想定される」と。


 「日本書紀」も場所を変え、何度か箱根で勉強会をさせていただきましたが、ノリ子さんにとっての箱根は、まさに持統天皇の吉野行幸ではなかったかと思えるのです。

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