歌占下ロゴ.png
clogo.png

巡礼マップ

歌占の神さまに会いに行くためのマップです。PDFファイルでもご覧いただけます。

kamiitaA.jpg
kamiitaB.jpg
tokiwaA.jpg
tokiwaB.jpg
nakaitaA.jpg
nakaitaB.jpg

*上板橋駅周辺スポット解説

御嶽神社

金山彦命・金山姫命・倭建命をご祭神とする御嶽神社は、石神井川を見下ろす小高い丘、都立城北公園に位置します。境内には神明さま(天祖神社)、稲荷神社のほか、意識天、不動明王の石祠もお祀りしています。大根で鶴亀を作り、強飯式を行う特殊神事「おびしゃ祭」が今も地域の人々によって伝えられています。

五本けやきー上板橋のランドマーク

川崎街道の整備は大正12(1923)年の関東大震災の復興計画の一つとして計画され、その拡幅と直線化の上の用地は取得、林は伐採の予定でした。しかし用地上に屋敷林を持っていた旧上板橋村村長・東京府会議員も務めた飯島弥十郎氏の強い要望により、道路中央部に一部を残すことに!新川越街道の中でも特徴的なけやきの木立は「五本けやき」として親しまれています。(板橋区教育委員会看板より)

栗原遺跡ー竪穴式住居跡

昭和30(1955)​年に立教学院総合運動場造成の際に発掘調査された遺跡です。調査によって、弥生時代の住居跡が3軒、古墳時代から平安時代の住居跡が15軒、旧石器時代の石器や縄文時代の土器や石器が出土しました。

復元された住居跡は八世紀初め頃(奈良時代初め頃)のもので、昭和32(1957)​年に東京大学藤島亥治郎博士の設計により建てられました。(練馬区教育委員会看板より)

茂呂遺跡(もろいせき)

昭和26年、「オセド山」と呼ばれる独立丘陵(小山)を通る切り通し道路の断面で、石器などが発見されました。旧石器時代の調査としては群馬県岩宿遺跡に次ぐ二番めの調査が行われました。遺跡も遺物も東京都の文化財に指定されています。(板橋区公式ホームページより)

板橋区小茂根5−17

*ときわ台駅周辺スポット解説

天祖神社(神明さま)

鎌倉時代の御深草天皇のころ、上板橋村字原に天照大御神の影向跡があり、そこに伊勢神社を勧請したと伝えられています。江戸時代の社号は「神明宮」。明治6年に天祖神社と改称しました。

​寛政9年4月に江戸の文人・大田南畝(おおたなんぽ)がこの宮を参詣し、神さびた様子を江戸地誌見聞記である『武江披砂』に残しています。「常盤台」という地名は、この社の杜に由来するといわれています。

*中板橋駅周辺スポット解説

豊敬稲荷(ほうけいいなり)

明治末年頃まで、宿場の「市神さま」として栄えた中宿のお稲荷さんを、地元の実業家・福本芳太郎さんが私財を投げ出し、宿の人たちも勤労奉仕をして創建されたお社です。神社創建の縁起として、芳太郎さんの夢枕に三人の神さまが立ち笑顔で語りかけたという不思議な霊験譚が伝わっています。

上宿稲荷(かみじゅくいなり)

旧川崎街道、上板橋宿のお稲荷さん。古くから上宿の守護神として祀られていました。毎年2月11日には、初午祭が行われ、地域の子供たちによる弥生囃子が奉納されています。

板橋区弥生町45

白箭稲荷(しらさきいなり)

上板橋宿・上宿のお稲荷さん。2月11日に初午祭が行われます。地域の人々が大事にお祀りしています。

板橋区弥生町58-7

​三春屋

かつて中宿のあたりに、上板橋宿の名残を今に伝える町家建築があります。米穀商を営んでいた三春屋さんです。

下頭橋(げとうばし)

大田南畝はこの橋を渡り神明宮に参詣しています。欄干の擬宝珠はかつて木橋であった名残です。名前の由来は諸説あります。一つ目は、旅僧が地面に突き刺した榎の杖が芽を吹いて大木に成長したという逆さ榎があったから。二つ目は、川越城主が江戸に出府の際、江戸屋敷の家臣がここまで出迎えたから。三つ目は橋のたもとで旅人から喜捨を受けていた六蔵の金を元に石橋が架け替えられたから。(板橋区教育委員会看板より)